『裏世界ピクニック』アニメ化について思うこと
3月5日に『裏世界ピクニック』のアニメ化が発表された。
【TVアニメ化決定!!】
— TVアニメ「裏世界ピクニック」公式 (@OthersidePicnic) March 5, 2020
『裏世界ピクニック』TVアニメ化決定!!
アニメーション制作はライデンフィルム×FelixFilmとなります。
監督・シリーズ構成は佐藤卓哉氏!
キャスティングは、主人公の紙越空魚役に花守ゆみりさん、仁科鳥子役に茅野愛衣さんのお二人です!#裏ピク pic.twitter.com/8SwIocvBPs
嬉しいし、当然観たいんだけど、やっぱり何というかこう…もどかしい…! 複雑…!
好きなマイナーバンドがメジャーデビューしたら覚めるとか、古参を気取ってしまうとか、そういうあるあるがありますが。あるある過ぎて、もうそういう感情は中学時代に置いてきたぜ~と思っていましたが。そんなことは無かった。いつの間にか『裏世界ピクニック』は自分の中でかなり大事な作品になっていたらしい。
なぜそんなに好きになったのか
もちろん面白いからなんだけども、しいて挙げるとすると
- 初めてちゃんと好きになった小説だった
- コメダ珈琲と関連付けされた
- いつの間にか百合だった
- 自分の周りで知名度が低かった
あたりかなと思う。
初めてちゃんと好きになった小説だった
これまであまり小説を読んでこなかったが、だいたいが「まあ面白かったけど活字を読んだ疲れの方が大きいな…」という感想だった。これはかっこつけて難しそうな長い本を読もうとしたり、ただベストセラーだからという理由で好きでもない題材の本を読もうとしたりしたせいかもしれない。
Amazonからおすすめされた『裏世界ピクニック』は、表紙がラノベっぽいし(だけど肌の露出は強調してないし)、女学生が主人公だし、くねくねや八尺様といったネットロアが登場するらしいしでモチーフが好みすぎるので最初は逆に抵抗感があるくらいだった。結局素直に買って読んでみたところ、まあ面白いこと。そりゃそうだという感じだ。いきなり海外の長編小説とかじゃなくて、素直にこれで良かったんや…。
そして、読み進めるごとにキャラもどんどん好きになってくるし展開も見事だし、もはや「今まで読んでた本に比べて面白い」とかいうレベルを遥かに超えてきて、いつのまにかただ大好きな作品になっていた。
自分はこれが好き!と言える作品を厳選するといくつかの漫画や映画に絞られるが、そこに小説がランクインしてくるのは自分にとってなかなか衝撃的なことで、そういう意味でも特別感のある作品となった。
コメダ珈琲と関連付けされた
1巻を何の気なしにコメダ珈琲で読み始めたのだが、その流れで「2巻もコメダで読もう」となり、作品が好きになるほどに『裏世界ピクニック』はゆっくり時間がとれる日にコメダ珈琲に長居して噛みしめながら読まなければならないという自分ルールが強固なものとなっていった。
もともとコメダ珈琲自体も好きなので相乗効果で幸せ度が高まり、精神を回復させる重要な儀式と化した。コメダに来ると裏ピクを思い出し、裏ピクを読むとコメダを思い出す。
いつの間にか百合だった
人によってはネタバレなのかもしれないが、もうあちこちで百合だと書かれているので書く。1巻では全くそれを感じていなかったし、実際メインの2人も出会ったばかりの段階なので友人未満のような関係性だったように思う。しかし巻数が進むごとにどんどん雲行きが怪しくなり、疑いはやがて確信に変わっていった。「なんか変だな」から「いやギリギリでしょこれ…」となり今やギリギリどころの騒ぎではなくなっている。
私は作者インタビューのような作品外部の情報を全く見ていなかったので身構えが一切なく、気づいたらいつの間にか百合だった。これまで百合作品というものにあまり触れたことが無かったし、それを強調している作品には食指が動かなかったのだけど、この作品に限ってはやり場のない感情が沸き起こる。
自分の周りで知名度が低かった
これはあまりお上品な「好きな理由」ではないのだが、周りに話しても誰もこの作品を知っている人がいなかったので自分だけのもの感が強かった。これぞまさにマイナーバンドのファン心理。アニメ化するくらいだから世間的には全然メジャーというか大人気なわけだけども。
周りに知ってる人がいた場合、この作品について会話を重ねることで、コメダだけでなくその人も脳内で作品に関連付けされてしまう。しかも自分が良いと思っている部分をその人が悪く言いでもしたら…。と考えると、やはり独りで好きでいられたというのは良かった。面倒くさいオタクですみませんね。
好きな作品がアニメになるということ
すでに『裏世界ピクニック』はコミカライズされている。漫画で読むと、活字でイメージしていた景色や動きが可視化されて、初めて見る絵なのに近視感があって面白い。
ただ、可視化されすぎるというか…。小説だともっとリアリティがあるというか…。確かにフィクションでしかありえないような内容があるにせよ、小説は、半分、実際にこの日本で起こった話のような気で読んでいるところがある。それを前提として漫画版を読んだとき、ヴィジュアルとして100%のフィクションが提示されるので面喰らってしまう。それはアニメでも同じかもしれない。
好きという感情が強すぎるときというのは、たいてい理想の姿を勝手に対象に投影して、対象本来の魅力+自分の妄想 でできたカタマリを好いている状態だと思う。恐ろしいですね。それが小説を独りで楽しんでいるときなら全然良いのだけど、アニメとなって一種の「答え」がバーンと提示されたとき、投影していた妄想が瓦解してイメージは書き換えられ、好きだったあのカタマリはどこにも無くなってしまうのではないかという不安がある。
作品内で、主人公の空魚は「裏世界」を自分(達)だけの特別な場所と捉えており、そこに他人が踏み込むことを嫌う。空魚にとって裏世界は聖域なのだ。
『裏世界ピクニック』はこれからアニメ化によって多くの人の目に触れることになり、現時点で40数件しかないpixivの2次創作は爆発的に増え、「原作は知らないけどアニメは観たことある」という人であふれ、「アニメが面白かったので原作本を買いました」という人も出てくるだろう。それは全然当たり前のことだと思うが、やはりどこかで、私の聖域に他人が踏み込んできてしまうような胸騒ぎがある。
…と、なんだかんだマイナスなことばかり書いてしまったけど、アニメ化は嬉しいし、どう描かれるか楽しみ。もしかしたらコロっとドハマりするかもしれない。
あともしかしてアニメ化するってことは小説も次の5巻で完結するんだろうか?終わって欲しくない…!!